ミュージカル「Fate/Zaro」 原作・脚本監修:虚淵玄 & 脚本・演出・作詞:西森英行 クリエイターズインタビュー

最先端でありながら古典的、
最も贅沢な体験である“舞台”との出会いを生む作品に

2004年にシリーズの原点であるPCゲーム「Fate/stay night」が発売されて以来、数多くの派生作品や多岐にわたるメディアミックス展開で社会現象とも言える盛り上がりを巻き起こし、20年にわたり愛され続けるFateシリーズ。
「Fate/stay night」の前日譚を描く「Fate/Zero」を初めて舞台化するにあたり、小説の作者であり、今作で脚本監修を担う虚淵玄と、脚本・演出・作詞を務める西森英行が今作への期待と意気込みを語った。


「Fate/Zero」は人生のターニングポイント

2006年に小説版「Fate/Zero」を誕生させてから現在まで約18年となりますが、いま虚淵さんがこの作品に対してどのような思いを抱かれているか、お話を伺えますでしょうか。

この本に関して言うと、僕はもう人生のターニングポイントといいますか、ここまではいわゆる成人向けPCゲームの脚本を書くといった作業がメインだった中で、この作品を通してアニプレックスさんとのご縁もできて、そこからアニメ脚本家の道も拓けたという。
まさにこの作品がきっかけで経歴をスイッチした形になりましたので、そういう意味で本当に思い出深い本ですね。

「Fate/Zero」のTVアニメが放送された当時にもお話されていると思いますが、アニメ化の際にはどのような思いを抱かれていましたか?

そもそも小説を書いた段階では、「Fate/stay night」(2004年にPC版ソフトとしてリリース)は成人向けコンテンツのままだったんですよ。 まず「Fate/stay night」を見てもらわないと、いきなり「Fate/Zero」だけを読んでもわけのわからない話になるということもあったので、あくまで秋葉原の同人ショップでの販売だとか、そういう同人の流通のみで留めましょう、というお話をしていました。
いわゆる一般流通という形で読んでいただけるようになったのも、「Fate/stay night」がコンシューマー版に移植されてからなんですよね。
だから僕としては、書いて皆さんに読んでいただいたターンはもう最初の同人版の頃の印象なので、そこからするとむしろ、アニメで電波に乗って流れるなんていうのも、ある意味びっくりするような展開でしたし、さらに、これだけ経って舞台でやっていただけるなんて、書いていた当時には想像もつかない流れですね。

幕が開けるまでわからないポジティブな不安感

以前ネルケプランニングで舞台版『PSYCHO-PASS サイコパス Chapter1―犯罪係数―』、舞台「仮面ライダー斬月」‐鎧武外伝‐を上演した際に、虚淵さんに監修をしていただきました。
今回も脚本監修として舞台版に向き合っていただく形になりますが、虚淵さんから舞台化に向けての期待をお伺いできますでしょうか。

まず、僕がいつもやっている映像の仕事と、舞台での表現っていうのは根幹から全く違うものだろうな、という思いがあるんですよね。
映像だと完全にフィックスして形になったものをお客様にお届けするんですけれども、舞台というのはお客様も参加する祝祭というかイベントというか、そこにも面白さがあるものだと思っています。
良い意味で、どう転ぶかわからないことへの期待、まさに幕が開けるそのタイミングまで、どういうお祭りになりお客様が何を持ち帰ることになるのか、全く見えないというところにこそ面白さ、良さがあるんだろうと。
そういうポジティブな不安感といいますか、ワクワクして待てるという興奮があります。

絶望的な状況にこそ人間の本質が表れる
古典文学のごとく描かれた要素を大事に抽出したい

西森さんには、今回『Fate』という作品に初めて向き合っていただくことになります。現時点での、ミュージカルにしていく上でのテーマ、舞台化にあたっての思いをお聞きしたいです。

今回こういった貴重な機会をいただいて、ありがとうございます。
作品を作らせていただく上で、虚淵さんにお伺いしてみたいと思っていた点が色々とありますので、そのお話もさせていただけたらと思っています。
余談ですが、僕の親友が虚淵さんのお父様(演劇組織『夜の樹』主宰、故和田周氏)とご縁があって、『夜の樹』のことを「人生で出会った中で一番すごい劇団だと思っている」ってすごく熱く話していたんですよ。
そこから考えると、演劇という場は、言ってみれば虚淵さんのルーツの一つでもあるのかなと思っているんです。
そのルーツである媒体を、虚淵さんの作品をお借りしてやらせていただくこともあって、僕自身もすごく思い入れを持って臨んでおります。

そうだったんですね、ありがとうございます。

「Fate/Zero」を小説とアニメーション両方で拝見しまして、例えばビジュアル的なことや、ギミカルなどの要素はすごく現代的なんですけど、作品としては非常に文学的だなと思ったんです。
僕は『魔法少女まどか☆マギカ』も大好きなんですが、そこで思ったのは、虚淵さんの書かれることって、絶望的な状況にこそ人間の本質が表れる、みたいなところがすごくあると。
例えば『まどマギ』でいう”因果”との関係であったり、あるいは「Fate/Zero」でも、聖杯が選ぶのって基本的には、その人の“業”だったり“因果”といった、持っているものを抽出している、というような。
その描き方が、僕はどちらかというと最近の現代的な作品というよりは、ギリシャ古典であったり、シェイクスピアの方が非常に近い、と感じて、舞台という中で描かせていただくにはすごく良い物語だ、と思ったんですよね。

ありがとうございます。

舞台、特にミュージカルだとどうしても、プロッティングを絞らなきゃいけないっていう宿命があるんですが、その中で今回、衛宮切嗣とセイバーの縦の軸というところを大事にしていこうと考えています。
作品の中で虚淵さんが描かれている、切嗣とセイバーの“正義について”、“世界の救済”というテーマであったり、(セイバー・アーチャー・ライダーの)『聖杯問答』での“王の器とは何ぞや”という部分、雨生龍之介や、ある意味では言峰綺礼にも繋がっている“神と人間との関係”というもの、そういったことは大事に抽出して演劇ならではの表現に変えていきたいと思っています。
「Fate/Zero」をアニメーションから知られた方も多いと思うんですけど、今回作品を作らせていただく上では、その原典である小説で虚淵さんが描かれたこと、アニメーションでは描かれていない要素も入れていきたいですね。

ああ、ありがとうございます。

取捨選択という部分では、今作では遠坂凛と間桐桜を役としてキャスティングしておりませんが、そのあたりの表現についてはいかがでしょうか。

もちろん凛も桜も皆さんがすごく大事にされているキャラクターですし、「Fate/Zero」の物語の性質上中心軸には表れないけれど、大事なポイントを担っているんですね。
時臣の動機であったり、あるいは雁夜の動機として特に大きく作用しているんですけれど、そういった意味では物語の構造として登場させないわけにはいかず、ただ今回メインキャラクターとしてはキャスティングしていない、というところで、演劇的に色々な工夫をして、あの2人の存在を意識していただけるように作っていこうと思っています。

そうですね、やっぱり表現の形が変わる以上は切り口を変えていかなければならない部分もありますので、小説とアニメももちろん変わりましたし、小説と舞台で変わる部分もあって当然だと思うんですよね、そこはもう信じておまかせしちゃっていい部分だなと思っています。

テクノロジーを生かした表現の進化は想像のつかない領域
肉体の表現と歌で心理描写を立体化することに比重を置く

虚淵さんとしては、「Fate/Zero」を舞台で上演するにあたって、どういったところが注目すべきポイントになりそうだと思われていますか。

近頃の舞台は、テクノロジーを交えた表現の工夫や広がりにすごいものがあるな、ということを「刀剣乱舞ONLINE」の舞台化作品などを観て感じています。 テクノロジーを活かした新しい表現がどんどん増えているので、もう僕には本当に想像がつかない領域なんですよね。
僕の父親なんかは、いかに安く削ぎ落として演劇的な表現にするか、ということをやっていましたし、今もその手法は舞台の世界で生きている。
その上で、プロジェクションマッピングを使って背景をガラッと変えたりとか、ああいった工夫に関しては僕には全く未知の領域で、そういう部分への期待もあります。
映像とは全く違う、ちゃんと観念としてシーンを表現した上で、ライティングや大道具の変化とかであっと驚かされるようなところは、今まさに最先端で面白い芸能だと感じているんですよね。
映像であれば、これが枷になるだろうとか、こういった合成も出てくるだろうとか、何となく直感が働くんですけど、舞台は全くわからないが故にワクワクしますね。

西森さんには今まさに(取材時)脚本をお書きいただいているところではありますが、舞台として上演する上でここが見どころだな、というのはどのあたりでしょう。

虚淵さんがおっしゃったように、いま演劇界ではテクノロジーがすごく表現の中で取り入れられてきて、色々な生かし方が出てきている一方で、逆にある意味インフレーションを起こしている部分もあるな、と思っています。
今回、映像も使うんですけど、僕は、演劇で肉体だからこそ表現できることになるべく転換していきたくて、映像だけでなく肉体も頑張っているからこそその画ができる、という作り方をしていきたいと思っています。
もちろん見た目も大事なんですけど、それこそ僕も小劇場出身なので、肉体ができることを結構信じているんです。
だって、アニメーションはすごいんですよ、やっぱり。
僕はアシスタントとアニメーションを見ながら打ち合わせをするんですけど、「はぁ~(溜息)絶対無理!」ってところからスタートするみたいな(笑)。
なので、アニメーションを同じ土俵で追ってしまったら、僕らにはもう勝ち目がないんです、アニメーションの表現っていうのはもう仕上がっているので。
だとしたら僕らは人間ドラマから立ち上げる、意味のある空間の作り方というか、例えば綺礼の迷いであったり、切嗣の葛藤であったり、むしろそういった形のないものを立体化するということの方に比重を置いていこうかなっていうようなことを考えていますね。
あとは、ミュージカルで“歌”なので、虚淵さんが小説で書かれているような心理描写の細かなところっていうのを、歌ならば表現できるって信じています。

確かに、まさにアニメで切り落とした部分でもあります。
アニメではこんなに長く喋っていられないし、もうここは流しましょう、ってバッサリ切った部分が結構あるんですよ。
そこを汲み取ってもらえるっていう期待感は本当にありますね。

そこは大事にしていきたいですね。

一切手ぶらで来て驚いていただくのが一番
その場で完結しないほどの物語の深さがある

Fateシリーズには様々な世代のファンの方がいらっしゃいます。
今回の舞台化で初めて「Fate/Zero」に触れるお客様もいらっしゃれば、逆に初めて舞台というものをご覧になるFateシリーズのファンの方もいらっしゃると思いますが、何か事前知識として把握しておいていただいた方がよいことはあるでしょうか。

もう一切、手ぶらで来て驚いてもらうのが一番だと思います。
昔は、「Fate/stay night」をやらないで読んでもらってもわからないと思います、って言っていたんですけれども、これだけ『Fate』が「Fate/Grand Order」とか「Fate/EXTRA」とか展開して幅が広がってきた中で、今それを言っても意味がないと思うんですよね。
既に「Fate/stay night」が古典になっていますし、皆さんがご存知の『Fate』っていうとおそらく現状は「Fate/Grand Order」でしょうし、もう全く様変わりしていると思うんですよ。
とりわけ今回は、舞台としてまた生まれ変わって、新しいものとして「Fate/Zero」がお客様の前に現れるわけです。
だからいっそ、「昔こんな『Fate』があったんだ」って驚いてもらいたいですね。
もちろん原作の「Fate/Zero」を読み直していただくのもいいですけれど、手ぶらで来ていただくのが一番じゃないかと思います。

誤解を恐れずに言うと、僕はこの「Fete/Zero」という作品は、ネルケさんぽくないと思っているんです。
これは全く否定的な意味で言っているわけじゃなく、僕も演劇人として「ネルケさんの作品ってすごいな、キラキラしていて、盛り上がっていていいな」と感じていて、観る人に元気と活力を渡していくっていうのが、きっとネルケさんの王道たる作品だと思うんです。
でも「Fate/Zero」はそういう視点とは違っていて、むしろ観た人に「うーん」と考えてもらうとか、帰ってから「あれってそういえばどういう意味だろう」というように、何か持ち帰って考えてもらいたいんですね。
その場で完結しないほどの物語の深さがあるのがこの作品だと思うので、出来れば『Fate』を知らない方にこそ、こんな物語があるっていうことを純粋に観ていただきたいんです。
だから、なるべく初めて観た方にもちゃんと設定がわかるように工夫して作りたいと思っていますが、例えるならスイーツバイキング付きの高級アフタヌーンティーを楽しむ感じというよりは、フルコースディナーをしっかりと味わいに来てください、っていうような感覚でしょうか。
何かが残る作品を作る、というのは僕が演劇の作り方として本道だと思っていることで、生活の中に、その延長線上に演劇を体感したということが残っていく、っていうようなことを目指していきたいと思っているんです。
とてつもなく力の漲っているこの作品を一緒に体感してみませんか、という気持ちです。

コンシューマー化するエンタメの最後の砦こそ舞台
劇場空間で観客と一緒に生み出す空気は演劇の最大の武器

今回の舞台化について、すごく期待してくださっている方がたくさんいらっしゃることを感じています。
その方達に向けてのメッセージをお願い出来ますでしょうか。

「Fate/Zero」というよりは、演劇というものに関して、多分、日常的に観に行っている方々は多分、この作品も観に来てくださると思うんです。
だからむしろ、観たことのない方に言いたいのは、本当にいま、エンターテイメントはどんどんコンシューマー化しているというか、安く大量に手に入る時代になっているので、最後の贅沢の砦が舞台だって気がするんですよね。
だってその日、その1回しか観られないものを観るっていう点で、これほど贅沢な娯楽はないし、他に出てこないだろうと思うんですよ。
どれだけ視聴環境を良くするとか、大きな予算規模のゲームを作ったって、ただ1回限りの生のイベントっていうものほど贅沢なものはないし、それに見合うだけのお金もかかるんですよね、演劇っていうのは。
多分、チケットのお代に慄いてしまうところがあるとは思うんですけど、一度は観てほしいのが舞台だな、と思うんです。
1回観たらどれだけこれがすごいものかっていうのは解ってくださると思うので、『Fate』っていう大きいコンテンツで、ちょっと気になっちゃったっていう方には、ぜひこの機会に観ていただきたいです。
そして、まさに目の前で物語が起こっているという空気感を肌で味わう体験を、ぜひ一度味わっていただきたいと思います、きっと虜になると思いますので。

作品の面白さをどこで味わっていただくかと言うと、元々物語が面白いものをお預かりしているので、演劇であることの意味とは何だろうか、というところだと思っています。
すごく興味深いと思った研究データがあって、映画館で換気口から出る空気を集めたら、楽しい映画を見たときに排出される空気の中の物質と、スリリングでドキドキする映画みたいなものを見たときの物質って、成分が違うらしいんですよ。
言ってみれば人間の身体の中からそういう空気が立ち上がっているということで、ならば演劇ってその極致だなと思うんですよね。
お客様が劇場にいるとき、劇場の中の空気が泣ける空気になっているとか、ものすごくみんなが集中している空気がつくられているとか、それって家にいて1人で映画を見たりとか、動画を見たり、漫画を見たりっていうだけでは体験できない。
劇場の中の集団でその空気を作るっていうのが、演劇のとても面白いところであり、最大の武器だと僕は思っています。
この作品って俳優さんにかかる負荷も相当大きいですけど、実は観ているお客様って、演じる俳優さんの体を無意識に模倣するんです。
すごく緊迫感のある空気になると、お客様もそれと同じ状態になったりするので、体と感覚が揺さぶられる経験っていうのが演劇ではできる、そういう体験を劇場でしていただきたいと思いますね。
それに虚淵さんがおっしゃったように、演劇ってすごく贅沢で、すごく良いものを観た、っていう想いは心に残りやすかったりするので、この作品がその体験の始まりになっていただけるといいなと思います。

 

「まだまだ掲載しきれていない、濃厚・濃密な内容は
ミュージカル「Fate/Zero」~The Sword of Promised Victory~の公演パンフレットに続きます!
本番のご観劇とともに、ぜひパンフレットもお手に取ってみてください。」